「氣」とは何か

意識 0 小林拓弥(合気道家)

合気道の稽古において、「氣」という言葉が当たり前のように出てきますが「氣」とはなんでしょうか。

「氣」の正体の一つは意識

自分なりの解釈ですが「氣」の正体の一つとして「意識」と考えています。
「意識」は心と体と外界を論理的に接続する思念です。

例えとして当たり前のことを言いますと、息を吸おうと思うと実際に息を吸う動作を行います。これも氣によるものです。

呼吸は普段は無意識で行っている動作ですが、氣が介入することでコントロールできます。
これは体の動き全般で言えることであり、少し氣(意識)を変えるだけで動きが大きく変わるものです。

導くための「氣」という言葉

稽古の際に「キとか言っていないで、ハッキリ言葉で説明すればいいじゃないか」と思う人は結構居るのではないでしょうか。

確かにその気持ちも分かりますが、言葉で説明しようとすると、言葉に含まれる意味量しか情報を伝える事ができないという問題があります。

言葉の意味量で全て表現できるほど現実は単純ではないのです。

「ここはこうしてああして45°で…」と説明することはできますが、言葉の外にある暗黙知のような情報は伝わらないし、明確な意味を持つ言葉を使ってしまうとその言葉に囚われてしまい、それ以外の情報が入ってこなくなってしまうかもしれません。

その辺を危惧して「氣」や比喩などを用いて、与える情報に幅を利かせながらおおよその答えにたどり着かせようとしているのです。悟った者のみが本物の技を習得できるのです。

といっても自分が悟れているかはまだ分かりませんが。

呑み込みが早い人は言語化にこだわらない

合気道に限った話ではありませんが、”呑み込みが早い人”に共通している事として、言語化にこだわらない人が多い気がします。

なんとなくフィーリングで習得してしまったり、何回かやっただけでコツを掴んでしまったり。

おそらくそういう方たちは抽象的なものを抽象的なまま学習する能力を持っているのだと思います。

そういった能力は「センス」という言葉で片づけられる場合が多いですが、個人的には柔軟な思考を持つことで獲得できるものだと信じています。

氣を信じる重要性

「氣」は人によっては胡散臭さを感じるかもしれませんが、「気配」「気品」「気持ち」「雰囲気」「気配り」など確かに存在しているものです。

その延長線上に何かがあると信じて物事に取り組むと視野が広がり、見えなかったものが見えるようになるかもしれません。